菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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23.他人に関心を持て

自分に対しては関心を持てても、他人に関してはなかなか関心を持てないのが実情です。No.16 にも似たような事を書きましたが、今回はいかに他人に関心を持つ事が人を奮い立たせるか、人を感激させるかについて考えてみたいと思います。

孔子の教えに「知られざるを憂えず」という教えがあります。しかし、実際私自身教授として組織の為に各医局員の為に懸命に努力してみて、その結果相手が教授がしてくれた努力、或いは配慮に感謝してくれない時は、正直言って「やっていられない」という気がするのが事実です。相手は判ってくれないままに「何時かは判ってくれる」という思いで、面倒をみたり世話を焼いたり、色々医局員が伸びる為に配慮し続けるという事は、なかなか容易ではありません。

この事について私自身の思い出があります。私自身は組織の中で生きてきませんでした。正確に言えば、組織の中で生きたくても自分の出身医局を除名され、自分自身個人の力で生きる事を余儀無くされました。一所懸命研究をし、学会で発表しました。論文も書きました。でも、研究途上で誰もその研究に関心を持ってはくれません。個人プレーですから仕様が無いのですが、その時に上司や見知らぬ他大学の人から、「どの位研究が進みましたか」或いは「今度は何を発表するのですか」、「何か新しい事を見付けましたか」等という質問を受けると、お世辞半分と判っていてもやはり嬉しいものです。

また、手術をして迷っている時に実力的には殆ど問題にならない位の新人が相手でも、自分の意見に相槌を打ってくれたり、頷いてくれたりすると心強いものです。どんな形であれ、自分に好意的な関心を持たれれば人は大いに奮い立つものです。ですから出来るだけ他人に関心を持つ事が、ひいては自分の研究や自分の人格を豊かにするうえで、或いは自分を造る上で大きな武器になります。私自身は意識的に医局員が迷惑に思うと思わないとに拘らずに、研究の具合或いは患者さんの状態を意識的に聞きます。それによって「私はあなたに関心を持っていますよ」、というメッセージを相手に送っているつもりなのです。「知られざるを憂えず」という教えの実践が実際はなかなか難しい事である以上は、皆が簡単に奮い立つ様に「他人に関心を持つ」こと、その方が我々凡人にとっては易しい事ではないでしょうか。

 

 

 

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