菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
88.一流への道に王道はない
以前にも書きましたが、一流への道に王道はありません。一流という言葉の響きには時々嫌な響きもあります。そこで私の一流の定義について話してみます。医師にとっての一流とは、患者さんに如何に満足できる知識や技術や信頼感を提供するかという一点にあります。ですから自分の医師としての道がどんな道であれ、例えば都市部医療であれ、僻地医療であれ、或いは勤務医であれ、開業医であれ、大学病院勤務医であれ、それぞれの現場での患者さんが満足できる医療や信頼感を提供できるかどうかが、一流かどうかの評価基準です。学問をすることだけが一流の道ではありません。研究業績を挙げることだけが一流ではありません。要は患者さんが満足できる或いは納得できる医療を、自分がその場で提供しているかどうかだけです。
そのような一流への道はどのようにして築かれるかを話してみます。一所懸命に実力を蓄えようと努力している研修医ほど、どう仕様もない無力感に襲われることがあります。私自身研修医時代、卒後6年の医師が神のように見えたことがあります。又、当時はいくら覚えても覚えきれない程の知識や技術が目の前に押し寄せてきて、溺れそうな窒息感を感じたことを鮮明に覚えています。
研修医の時代には、あまり上を向くことは無力感が強くなり、知識や技術への自分の力不足から全てを投げ出したくなる感じさえします。ですから、研修医時代には目の前の1例1例を地道にこなしていくことが最も大事な事です。山登りの時に下を見ながら歩いていると、気が付いてみると見通しが非常に良くなっていることに驚くことがあります。医師としての修行の道は山登りや英語の習得と同じで、徐々に徐々に上に上がって行くものではなくて、ある時突然目の前が開けてきます。そういう大成への道を歩むには、目の前の1例1例を地道にこなしていくことだけが唯一の道なのです。
意欲ばかりが空回りしてどうしていいか解らず、ついつい論文を読んでその論文を金科玉条の如く崇めたり、その論文を盲目的に信頼したり、或いはたった一遍の論文を定説の如く信用してしまう愚をこの時期にはよく犯すものです。研修医時代には、1例1例を大切にそれを確実にこなしていくと、何時の間にか症例の蓄積がなされ、それが実力となります。
私自身の経験から言っても、地方会の1例報告を聞くことや自分自身が1例報告を発表することは、後になって考えると非常に有意義でした。私自身は学会で演題を聞く時には殆どが症例報告です。症例報告はある状態が極端な形で出ています。ですから非常にその特徴を掴みやすいし、そこから普遍的な研究テーマが浮かび上がることが、しばしばあります。私はそのようにして随分多くの研究テーマを創出してきました。また、1例を地方会に発表する為には何十という数の論文を読まなくてはなりません。そうしたことが何時の間にかその症例に関係する種々の知識や考え方を身に付けることになり、それは他の疾患についても応用ができ、知らず知らずのうちに知識や技術が身に付いていくのです。
ですから、一流への道に“これ”という道はありません。只、目の前にいる受け持ちの患者さんを1例1例ごまかさずに、妥協せずにこなしていくことが全てなのです。この事に関しては明日でいい、或いはこの事に関しては今回は調べておかなくてもいい、という態度では永遠に堂々巡りするだけです。遥か高い所を目指すには先ず、目の前の一歩からです。