菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
137.再び問う。原点に戻れ
原点に戻るべく絶えず反省を繰り返しているのが、日々の我々の実際の姿でしょう。「所詮、人は皆そんなもんだ」と何も言わないでいるのが一番簡単ですが、組織の管理者としてはそうはいきません。自分のことは棚に上げてでも組織の構成員たる医局員の日々向上の為には、叱咤激励し、苦言も呈さなければなりません。最近少し、医局の構成員しかもスタッフの中に慣れや奢りが垣間見られることを私は見逃すことが出来ないので、敢えてここでまた筆を執りました。
「何もない」といっても過言ではない脊椎外科の臨床的・基礎的研究レベルをここまで挙げたのは、偏に一致団結した我々の力の総和であると私自身思っていますし、誰にも異論はないところでしょう。でも自分達が勝ち取ってきたものに対する自信のあまり、昔不安に怯えながらメスをとり、或いは不安に怯えながら日々の診療や研究に励み、オドオドしながら発表し論文を書いたあの日々の素直さ、直向きさを忘れてはいないでしょうか。何か月も前のレントゲンで明日の手術を論じる、或いは手術の時に基本手技である selfretaing,retractorを使わず、漫然と助手に鈎を引かせて手術をしている無神経さなど。黒であると思っても、黒でない理由は何かと確認を求めることも私の仕事の一つです。それに対して必死に答えようとする人が大部分ですが、人によってそれに対して微かに不服な表情で受け答えをします。
私は組織をバックにしないでやってきた為に、良いか悪いかは別にして他人の感情のさざ波までも敏感に感じ取ってしまいます。そうしないと生き抜けていけなかったからです。そういう人間から見ると、「原点を忘れているのではないか」「日々研鑽しなければ何時か落ちていく、落ちていくときは誰も他人は助けてくれないし、忠告もしてくれない」という事実を忘れているような気がします。我々医学の仕事は、物を考えてやるということを成る可く排除しなければなりません。
誤解を招くといけないので敢えて説明をします。一つの事実にぶつかった時に、それに反射的に対応出来るというのが理想的な医療現場の姿です。「考える」というと聞こえはいいですが、何かの事実にぶつかった時にはひとりでに手や頭がそれに対応することが理想なわけです。そういった訓練の仕方として、繰り返しのトレーニングということが、臨床の現場では若い人へのトレーニング方法に用いられています。ですから、基本をきっちり覚えた人が自在にその基本を応用して変えていくのは構わないのですが、飽く迄も基本は基本です。しかも、大学という所はその基本を次の世代に伝える義務があります。ですから成る可く応用編は避け、基本をきちんと押さえてそれを自分自身に荷し、そしてそれを次の世代に教えていく必要があるわけです。
もう一度原点にかえって自分の心を無にしてスタッフも含めて頑張らないと、転げ落ちるのも早いものです。ある程度年齢がいってからの転げ落ちは誰も注意してくれないという二重の悲劇が待っています。
次のような事実があります。つい最近あったので皆覚えていると思います。Zeissの新しい顕微鏡が手術場に入り、非常に性能が良いので専ら最近はこれを愛用しています。しかし、これは整形外科が要求して買った物ではないので、必ずしも整形外科のスタッフはこの器械の操作に習熟していません。
ところが、いざ手術に入っていったらランプはオーバーヒートして消えてしまう、アームは自在に動かせないという事態が起こりました。私自身は最早現場に居ないので、イライラして我慢をして手術を終了しました。その後、上のスタッフに注意しました。上のスタッフは不満げな顔でした。返事もしないような有様です。この時、やはり自分の育てた医局はまだまだ本物ではないと思いました。私自身もやはり現場に降りて行くべきかと反省もしました。
昔、私は全く新しい、何もない職場で整形外科というものを作りました。当然そこには、コメディカルの人は整形外科の色々な技術に習熟していませんでした。そこで私は、手術の度毎に手術の前には手術に就いて手術に参加する人達に説明をしたり、牽引手術台の取扱いかたを説明したりしました。更に病室では牽引の装置を組む方法を誰も知りませんでした。そこで、メッセンジャーボーイや看護婦さんに教える為に、自分でフレームを組んでやってみせました。
そこで得た教訓は、「自分で出来ないことは他人に言うな」ということです。これはよく医局員にも言うので聞き飽きた人もいるでしょう。しかし、指示する人間が全てを知っている時にその指示は迫力を持って相手に伝わります。そういう点からいうと、私が自分で使う手術用顕微鏡に習熟していないのは、やはり批判されても弁解の申し開きがないように思えます。しかし、現場のトップであるスタッフの面々はどうなのでしょうか。大学の組織からいったらそのようなことは、きちんとしておくべきだし、私自身もじぶんの手塩にかけたスタッフがそういうことをしていないという事実の方に私はショックを受けました。これも、お互い原点を忘れた一つの例だと思います。
私も含めてもう一度原点に戻るべきでしょう。