菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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168.医療トラブルは、何時、誰に、どんなふうに起こるか分らない

医療上のトラブルは不可避です。どんなに注意しても、統計学的には必ず一定の確率で、世界中で起きています。勿論、トラブルが起きて当然というのではなくて、トラブルを起こさない為に数々のマニュアル作りが行われ、確認の励行が強調され、最近ではクリティカルパスの導入にまで至っている時代です。しかし、それでも決して医療事故を含む医療トラブルが絶えることはありません。

トラブルが起きた時、そのトラブルが医療訴訟を含む深刻なトラブルになるかどうかは、トラブルがどんな内容かよりも、トラブル前に患者と医療従事者との間にどれだけ信頼関係が確立しているかによって決まることは、経験のある医療従事者なら誰でも知っていることです。信頼関係は、医師の知識や技術ではなく、人格や振る舞いによって左右されるというのは最近の多くの報告が指摘しているところです。

問題は、医療を巡るトラブルが何時、誰に、どんなふうに起こるかが、患者さんにも医療従事者側にとっても全く分らないことです。ではそれに対してどのように対応するかというと、「これだけベストを尽くして診て貰っていたのだから仕方がない」と、満足はしないが納得して貰う医療をやっておくしかないように思います。以前にも書きましたが、患者さんに一言多く声を掛けたり、全ての検査結果や治療の経過を逐一説明するのは、それが、話の内容よりも、そういう行為を通じて患者さんと医療関係者との間の信頼関係確立に非常に大切だからです。

その一環として、我々が毎日行っている早朝廻診を含む一日3回の廻診も、最終的な治療成績には恐らく関係ないのです。治療成績に関係はないが、トラブルが起きた時に、双方にしこりを残すことなく処理することが出来るか、あるいは医療裁判になったりするかどうかに関しては、これらをやっているかどうかで大きな違いが出てきます。低い確率で起きる医療トラブルも、一旦起きてしまえば、その関係者やその組織にとっては精神的、時間的、肉体的に大きな負担を伴います。そのようなことを避ける為にも、常に出来る限りの万全の対応を全ての人にやっておくことが必要です。

もう一つ、医療事故や医療トラブルの問題点を考える際に考慮しておかなければならないことがあります。それは原因と結果との関係です。あらゆる事象は、原因があって結果が生じると理解されています。医療の場では、この因果関係が逆になることがしばしばです。結果が先にあって、次にその結果を起こした原因がある筈だという一般とは逆の思考過程が働くことに最大の問題があります。

ある一定の確率で起きる合併症や突然、理由もなしに起こる偶発的な事故は、厳密な問診や検査、あるいはどんなに注意を払っていてもそれがなくなることはないのです。ただ、それらが手順通りに、あるいは教科書的になされていたかどうかで医療訴訟の場合の責任を負うかどうかの区分けになるだけです。やっていたから防げたかというような純医学的問題ではないことに医療を巡る法律論の難しさがあります。

例えば、医療事故が起きた時、患者さんは偶発とは決して考えません。何らかの理由があって起きたと思います。また、その原因が双方にとって科学的には説明がつかない場合でも、患者さんの癒されない怒りが、その原因は医師の不注意や不誠実な対応にあると言いがちです。病気に対しては患者さんは不満を言いません。しかし、医療に関しては、そこに他人が介在するだけに怒りの対象となるのです。

前の項目で話したようなことがここで問題になってきます。原因のないトラブルに対する備えはやはり、一つ一つ誠実に、患者さんが満足は出来なくても納得出来る医療を念頭に置いて、誰に、何時、どんなトラブルが起きても、少なくとも医療従事者の誠実さを疑われるような隙は与えないことが肝要だとつくづく最近思います。

 

 

 

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