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「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜

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2010年10月10日付 福島民報 「日曜論壇」( 4 )

「福島民報」は、県内最大の発行部数をほこる地方紙の日刊新聞です。「日曜論壇」は県内各界の第一線で活躍する著名人によるコラム欄で、半期ごとに執筆陣を更新しながら毎週日曜日の本紙2面(社会欄)に掲載されています。
菊地臣一本学理事長兼学長は、今年度上半期に引き続き、下半期も執筆陣9名の1人として選ばれ、10月〜来年2月まで3回の執筆を行います。(次回掲載は12月12日予定)

福島民報社  http://www.minpo.jp
   (
日曜論壇掲載ページ「論説・あぶくま抄」 )  http://www.minpo.jp/column.html

「若さ」 への嘆惜

夢を語るより思い出に浸ることのほうが多くなると、人は老人に分類される。
ただ、年を取ることは悪いことばかりではない。古人の「人生はすべてこの絶えざる嘆惜のうちに過ぎる」が理解できるのである。「失ったものでしか語れないことがある」ということも分かる。

若い時、こんなことに思いが至っていれば、もう少しましな人間になっていたかもしれない。
「若い時」には二度と戻れないことが分かった時に初めて、学生時代や青春に代表される「若さ」とは何であったかが理解できる。

今、私は学生をみていると愛おしくなる。学生そのものが愛おしい以上に、学生が発散している“華”が間もなく散ってしまうその儚さ(はかなさ)が愛おしいのである。

「若さ」をはるか昔に失った今から、学生生活や青春を振り返ってみる。
若者には有り余るほどの時間がある。若者は、物事をすべてプラスに考え、その時の行動は自分の人生にプラスとして計算することができる。「足し算の人生」の時期である。

しかし、有り余る程の時間を自分が持っているとは、その当時、全く自覚していなかった。自分が自由に使える時間がふんだんにある時期は、当時、自分が考えていたよりはるかに短いことが、今は分かる。
どこかの時点で、道は「引き算の人生」に変わる。それを自覚して初めて、足し算の時期の大切さを実感できることになるのだから、人生とは皮肉なものである。

「地位や年齢とともに求められる役割は変わる」ので、その時でしか経験、吸収できないこと、そして感じ取れないことを、その時にやっておく必要がある。
自分がしたいことだけしていれば良い、あるいはできる時間は、年齢を重ねるごとに少なくなっていく。

仕事を任された時、人生観や生き方のバックボーンになっているのが、二度とやり直せない若い時に培った何かなのである。「どんな人間も、それまでの人生によって形作られた自分を変えることは難しい」のだから。

例えば、医師が医療の知識・技術を持つのは、プロとしての最低限の条件である。医師は、人間性とか人格が大切であると言われて、ついそれが医師のすべてであるように錯覚しがちである。そこには前提条件があることを忘れてはいけない。
仕事をする人は、プロとしての力量を持っていることのほかに、どれだけの付加価値を持っているかが問われるのである。プロとしての職業人の価値を作るのは、若い時のわずかな時間なのである。

人生をプラスに考えられた短い時間は、後から考えると、珠玉のような時間の流れであった。
このことを、誰でもいつか必ず気付く。その時になって後悔しないように、若者は自分の関心の赴くままに全力を尽くして、その道を究めることである。
読書や旅、スポーツ、音楽…何でも良いから自分の限界に挑戦し続けることが、自分の人生観の裾野を広げることになる。

(福島医大学長)

 

 

( ※ Webページ向けに改行位置を改変し、転載しております)

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