「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜
2010年12月12日付 福島民報 「日曜論壇」( 5 )
「福島民報」は、県内最大の発行部数をほこる地方紙の日刊新聞です。「日曜論壇」は県内各界の第一線で活躍する著名人によるコラム欄で、半期ごとに執筆陣を更新しながら毎週日曜日の本紙2面(社会欄)に掲載されています。
菊地臣一本学理事長兼学長は、今年度上半期に引き続き、下半期も執筆陣9名の1人として選ばれ、10月〜来年2月まで3回の執筆を行います。(次回掲載は来年2月20日予定)
● 福島民報社
http://www.minpo.jp
(日曜論壇掲載ページ「論説・あぶくま抄」 )
http://www.minpo.jp/column.html
● 世間智の復権へ
わが国の文化や慣習に根ざしている社会規範が崩壊しつつあるようにみえる。
建前の中でしか生きていないような世の中、あるいは逆に本音で話したり行動したりすることが美徳であるかのような今の世情が、私には危うくみえる。なぜなら、わが国での世間のありさまは、西洋文明のそれとは異なり、中空均衡構造(河合隼雄)で成り立っているからである。
他人や周りへの配慮や憐憫(れんびん)なしに自己主張する人たちに、精神の美しさは見いだせない。立場が逆だったらと考えないのだろうか。
人間は、人生が配ってくれたカードでやっていくもので、
カードの悪さを他人のせいにしては、自分自身だけでなく、仲間を、そして親をも傷つけてしまう。
人は皆、それまでの人生で培われてきたさまざまな個性を持って生きている。むろん、その人の社会背景も異なっている。
それだけに、軋轢(あつれき)を少なくして円滑な社会生活を送っていくには、建前を前提として生きていく社会構造の認識が求められる。
建前と本音のバランス、それが人間の生きていくうえでの知恵である。
しかし、最近は、偽悪的に本音をさらけ出すことを売りにして喝采(かっさい)を浴びている現象さえ見ることができる。一方で「当たり前すぎるお題目を唱えさえすれば、世の中に争いはなくなり、自分は良識ある人になれる」と本気で信じているのかと思える人たちもいる。
その安易さが怖いと思っているのは私一人だろうか。
家には台所も押し入れもある。人間は、社会生活の中で、建前と本音を、時と場合に応じて使い分けて生きていく。そういう世間智(せけんち)が、わが国には昔は確かに存在していた。
人生は、短い時間、狭い活動範囲、その中での関わり合いの中で終わってしまう。
それだけに、木の揺れから風を視るような感覚をもって、他者への思いやりや気配りも時には必要なのである。
「大人」でいるということは、常に幾ばくかの苦悩と喪失の連続を意味している。
今のわが国では、横の社会的繋(つな)がりが弱くなっている。経済活動が国境を越えてしまっている今、西洋文明の中心統合構造(河合隼雄)の概念を導入することも必要で、そんな中で生きていかなければならない。
こんな時代だからこそ、人は誰かを友と思わずには生きていけないのである。そこに求められるのは相手への敬意と信頼である。職業、地位、年齢は関係ない。
人間は劣等感や心の傷を記憶として持って生きている動物である。
このことに思いが至れば、他人の過ちに対しても、指弾(しだん)するような態度は取り難くなり、思いやりのある言葉やしぐさになる。
建前は建前として大切にして、自分の身近な人に善意を見つけて、そして本音はほどほどに隠して生きていくのが大切なのではないだろうか。そこまで気を配っても、嫌われることはあるし、それはやむを得ない。ただ、憎まれることは避けられるかもしれない。
(菊地臣一・福島医大学長)
( ※ Webページ向けに改行位置を改変し、転載しております)