菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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26.人は好むと好まざるとに拘らず、自分の生きて来た歴史から、逃れられない

私は教職という立場に就いてから、よく聞かれる事があります。「先生はどうして医師になったのですか」或いは「どうしてそんなにも前向きに生きられるのですか。疲れませんか、遊びたくありませんか、逃げ出したくなりませんか」或いは「先生を見ていると、引き絞った弓の様で、何時か折れてしまいそうです」等です。でも本人は無理して一つの生活姿勢を維持している、或いは今の様な勤務態度や生活を律しているのではなく、これが私の自然体なのです。

私は禅僧でも修道院の僧侶でもありません。勿論自分が自分の生き方に苦痛を感じているわけでもありません。非常に自然体で生きています。自分の生き方は、自分が現在まで生きて来たその道程と無関係ではありません。否むしろそこから全く逃れられません。それは、私が「骨接ぎの子」として生まれた事と大いに関係しています。それを具体的に話すと、どうして私が医師になったのか、そしてどうして私が現在の様な哲学をもって実践しているのかの鍵がその中に見い出せると思います。

私は骨接ぎの子として生まれ、父が毎朝4時に起き、ドイツ語の専門書を読み、6時までに病棟の回診をしていました。病院ではありませんので、病棟といっても寮と言ってました。そして、働いている人の為に6時に診療所を開け、働いておりました。休みは正月1日だけです。しかし、その正月1日も寮に入っている患者さんの為に治療をしていました。どうして父がその様な生き方をしていたのかは、父の生きて来た歴史と無関係ではないわけです。すなわち父は戦後、公職追放にあいました。自分で野望を持って生きてきた職業から戦後追放された為か、その後は世俗的な地位や名誉には全く拘らず、赤髭に徹して生きてきました。その結果として、患者さんが全国から集まり、大いに繁盛していました。そういう父を私は子供ながらに尊敬していました。

御存知の様に整形外科医と骨接ぎとは、犬猿の仲です。古今東西例外はありません。私の父も度々整形外科医からお叱りの電話や呼び付けられて小言を言われていた様に記憶しております。私は、母が病弱であった為いつも父の側で仕事を見て育ちました。ある時に整形外科医より電話があり、「上腕骨外科頚部骨折は手術をしなくても治るとは、何事だ。整形外科の教授に聞いてみたら、それは手術をしなくてはならない、と言っていた。お前はどんな見識で言っているのか。骨接ぎのくせに生意気だ」と、叱られました。父は平謝りに謝り、患者さんが余計な事を言ってくれたと零しながらも私を自転車の後ろに乗せ、私に一升瓶を抱えさせてその整形外科医に謝りに行きました。

私は塀の外で父が謝って出て来るのを待っていましたが、その時頭に浮かんだのは何故こんなに医師という人間は偉いのだろう、整形外科医は骨接ぎを呼び付けて、叱れて大変な人間なんだ、そんなに素晴らしい職業なのか、そんなに権限があるのか、いつか自分も医師になって、医師という人種或いは整形外科医というものの実態を見てやろう。そして出来るなら上腕骨外科頚部骨折が本当に手術が必要かどうか、見極めてやろう」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

しかし時は流れ、私は成長と共にそういう泥々とした中から、なるべく距離を置きたいと考え文化系を選びました。そして裁判官か検事になって、世の不正義と戦ってみたいという気持ちを持ちました。しかし父は、「時代に左右されない職業を選びなさい。それは医師しかない」と言い、「医師になる大学の入学金なら出す。それ以外は出さない」と言われ、結果的に私は医師になった訳です。

医科大学の授業中、ある教授が「患者が、骨折なら骨接ぎに行くと言われ、大いに侮辱されて腹がたった。骨接ぎ風情が!」という事を臨床講義で聞き、私は非常に身の置き所が無く感じました。その時「何故そんなに骨接ぎは馬鹿にされるのだろう」、もう一つは、「講義を聞いている学生の中に骨接ぎの子供は居ないだろうか、というちょっとした心配りが何故出来ないのだろうか」という二つの思いが頭を掠めました。

整形外科医と骨接ぎの関係は、子供の頃からよく知っていたのにも拘らず、私は整形外科に入りました。案の定、私の周囲から骨接ぎの話を色々と直接、間接的に言われました。非常に苦痛でした。そういうバックグラウンドがある為に、私は「なるべく医者らしくない医者になろう」、「医者を感じさせない様な医者になろう」と努力しました。そして、その結果、現在の様な医師としての姿勢、患者に対する時と医師として医師に喋る時との態度の違いがはっきり出る様な人間になってしましました。

私が言いたいのは、その医師の生き方というのは過去とは切り離せません。だからこそ1日1日両親との生活、友達との出会い、恩師との交流やそういうものが全て医師としての生き方に反映してくるのです。日々、医学以外の知識の吸収や見聞を広める事が大事だと思う理由がここにあるのです。

 

 

 

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