菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
27.名を惜しみなさい
昔からよく「名を惜しめ」、すなわち「名誉を守りなさい」という教えがあります。医師にとっての名誉とは、自分の信用を大事にする事です。論文を書く場合に自分の名前をいい加減にすると、それは必ず後から自分に跳ね返ってきます。名前だけの著者、名前だけの共著者はその論文に責任を取れるでしょうか。或いは、いい加減に書いた論文にたまたま自分が責任を持たないで、名前が付いている為に後々にその論文のいい加減さ、或いは誤りの為に不名誉な名前を歴史に残すかもしれません。
論文の業績は医師にとって命です。共著者も含めて論文には全責任を持つべきです。私もそういう哲学で医局員の論文や学会発表には徹底して関与しました。それは、私の義務でもありますが、もっとはっきり言うと自分の名誉が係っているからです。医局員には機会あるごとに「名を惜しみなさい、その共著者は本当にその論文に責任を持っているのですか」という事をよく言っております。医局員なら一度や二度は必ず聞いた筈です。にも拘らず最近、目に余る人間がおります。私に直してもらえるから、このまま一度教授に出してもかまわないとか、どうせ教授が直してくれるのだから、いい加減なものを出してみようとか、締切り日当日或いは前日に突然、私の都合を考えずFAXで送りつけてくる人間がおります。もっと腹の立つ事は、指導教官が全然Checkしていないことが稀ながらある事です。
これは、以前にもこの医師としてのマナーのところに載せましたが、医師は天動説で動いています。全て自分が中心です。しかし、一瞬でもいいから地動説でものを考えるべきです。例えば、私は教授として研究の指導は私の義務です。しかし私はそれだけをしている訳ではありません。それは私のほんの仕事の一部にしかすぎません。医局員の見える所以外でも私は多くの処理すべき仕事を抱えています。
しかし私に論文の指導を受けたり研究の相談に来る者にとってはそれが全てです。しかし、私にとっては数ある指導論文の一つであり、数ある研究の一つなのです。その時に直前に持ってこられれば私の指導も甘くなりがちです。時間は無限ではありません。そういう事を考えると、自分の名を惜しむ為に、その論文の共著者から名前を削ってもらうか、論文の発表を止めるかのどちらかしか選択肢はありません。まさか意識的にCheckを簡単に通る為に直前に提出しているとは考えたくありません。もう少し自分の名を惜しみ、相手の立場も考えて余裕をもって論文を出す事が、結果的には他人に対する誠意であり、自分の名を惜しむことであります。私は少なくとも、てにをはを直しているつもりはありませんし、私の論文校正も真剣勝負です。そういう事情をもう少し医局員或いは指導を受ける立場の人間は考えるべきです。