菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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76.成長したければ、まず環境を変えよ

また、人事異動の季節が来ました。人事異動は寂しさ、悲しさと嬉しさや希望がない混ぜになって、幾つになっても複雑な心境です。しかし、環境を変える事は、私自身の経験から言うと、非常に大切な事で、是非必要だと思います。また、自分自身幾つかの病院を渡り歩きましたが、病院を変わる決意は、年齢と共にその決断する時の時間が、自分の体内時計の中では、明かに時間がかかっています。一瞬のうちに、打てば響くように応えていた若い時代から、一呼吸おいて返事をし、その後色々な利害得失が頭に浮かぶ様になったこの頃まで、やはり人間はだんだんと保守的になる様です。自分の環境の変化が怖いのです。億劫になるのです。しかし、自ら環境を変えないと得られない何かが有る事も事実です。自らの体験でしか得られない何かがあります。今日はそれを話してみます。

私は、僻地病院の院長として県立田島病院に、東京のど真中にある1000床の病院から転身しました。その転身には多くの苦悩が付き纏い、今度ばかりは自分の人生の選択を誤ったかと、就任第一日目に思いました。行って見れば、宿舎は用意されておらず、私は約2週間誰も居ない、患者さんの布団が山となって積まれている様な病室の中で寝起きしました。職員は5時には一人も居なくなり、病棟には入院患者さんが居らず、予定表通り、只管理の為に看護婦さんが2人勤務しているだけです。

私がこんな所で働かなくても他の人でも良いのではないか、或いはこんな所に居たら人間が駄目になってしまうのではないか、医師としての生命が絶たれてしまうのではないか、と考えました。でも、今振り返って見ると、田島でしか得られなかった経験があります。それは以前にも書いた様に他人を信用する事になったことです。また、自分一人で出来る事は、皆で出来る事と比べると本当に小さい事だという事も気が付きました。

就任1年後に廃止対象の病院であった県立田島病院は、万年赤字の病院から1億5千万円の黒字を出す病院になりました。変わった事はたった一つ、私一人が新たに加わっただけです。では、私一人だけでそんな事が可能になったのでしょうか。そんな事は有り得ません。私は朝7時までに病院へ行き、一人で黙々と外来、手術、病棟をこなし、9時か10時に帰る日々が続きました。そんな姿を見て、職員は私を支えてくれました。私が就任前に県の幹部から言われた事は、「非常に労働組合活動が強い病院だから適当にやって下さい」との話でした。でも、一所懸命やっている人間の足を引張る人間は一人も居ませんでした。

私の後ろ姿を見て、私を何とか支えようと看護婦さん、技師さん、事務の人達が頑張ってくれました。こういう経験を通じて、「人間は変わり得るもので、しかも一所懸命やっている人間の足を引張ってまで自分が楽をしようとする人間は居ない」という事を知りました。この様な事は頭では分かっていても、県立田島病院へ行かなければ決して分からなかったでしょう。ですから、やはり環境を変える事が私にとっては必要だった訳です。

また、留学も同じ事です。留学の効用に就いては色々言われますが、私が留学の効用として常に医局員に言っているのはたった二つです。一つは自分と全く違った事を考える人々が居て、違ったシステムがあるという事実を体験する事です。もう一つは、その事を通じて自分の国、自分の属している組織並びに自分自身の考え方ややり方の良い点や悪い点を鏡のように見れる事です。これは、文章や人の話で、頭では分かっていても現実にはなかなか分からない事です。留学をするという一大環境の変化がそういう事を一挙に会得させるのです。ですから、若いうちは積極的に環境を変えて自らを鍛えるべきだと思います。

 

 

 

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