菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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81.トラブルが医師を成長させる

医師として行動している時に、トラブルに巻き込まれることは嫌なものです。出来ることなら避けて通りたいものです。しかし医療を巡るトラブルが、その人間を結果的に成長させることもまた一面の事実です。ですから我々が処すべき態度はトラブルを自ら求めることはないが、トラブルが起きた場合にはそのトラブルから逃げないことです。真正面から向き合ってそのトラブルに対処することが、結果的には周りを感動させ、全てが良い方向に向かいトラブルは処理されていきます。そして最終的には、自分もそのトラブルに対する対応を通じて、自らを成長させていくものだと思います。

私自身の経験を述べてみます。私自身は忘れ得ない医療トラブルが幾つかあります。一つは、「医師としてのマナー」の中にも以前 No.74 で書いたような突然死に巻き込まれたトラブルです。もう一つは術後の麻痺悪化です。

私が頸椎の先天性奇形の手術を依頼されました。誰も症状の程度とその手術の困難さから手術を避けてきた患者さんです。その当時私は、「だったら私がやってやろうじゃないか」という気負いが今から考えるとあったように思います。結果として、その患者さんは首の痛みだけを愁訴として歩いて来たにも関わらず、退院時は車椅子でした。

現在手術後約10年を経っていますが、室内は何とか伝い歩きをしていますが屋外は車椅子です。この患者さんのトラブルが発生した時には私は、結果的に3ヵ月間病院に殆ど泊まり込みで頑張りました。体重も10Kg程落ちてしまいました。しかしその患者さんとは今も非常によい関係です。私自身自分の机の上にはその患者さんの電話番号を手元に置いておき、暇があれば電話を掛けています。でもトラブルが起きてから誠心誠意を尽くしても、このような関係にならなかったでしょう。

私はそのトラブル以前から、現在の医局員に教育しているように、朝の回診、暇がある時は医局で休むのではなくて病室での患者さんとの雑談、帰る前の回診、ということを絶えずしておりました。それで分からないことは分からない、と言うことをはっきり述べ、患者さんに徹底して密着して行動してきました。結果的にはそれが私と患者さんとの関係上のトラブル発生を未然に防いだ訳です。

我々は患者さんに出来るだけ詳しく説明し、良好なコミニュケーションを獲得しようと懸命に努力をします。でも例えそういうことが無くても、99.9%の患者さんとは特にトラブルを起こすことなく、出会ってまた別れて行きます。しかし残り0.01%の患者さんに発生し得るトラブルの時にこそ、その様な普段の患者さんとの良好な関係があるかどうかがそこで問われる訳です。

人を相手にする商売です。しかもその相手は性格、教養、環境、千差万別です。おまけに患者さんは、全て何らかの身体的ハンディキャップを背負っています。また身体的ハンディキャップに伴う精神的負担を抱えています。そういう人と対等に話そう、自分達も義務を負うが相手にもその義務を負わせようという、対等の立場を要求することがそもそも間違っているのです。所詮患者さんは「患者」なのです。我我は患者さんにメスを入れる立場です。メスでその患者さんの状態を100%良くするという事は、現代の医療水準では到底無理です。

またトラブルが起きてもそのトラブルの原因が、必ず究明出来る程医学が進歩している訳でも無いことは良く分かっていると思います。だとしたら我々の取る態度はたった一つ、0.01%の危険率に対して「保険」を掛けることです。その保険とは誠心誠意患者さんに尽くして、トラブルが起きた時も決してそのトラブルから逃げないことです。そのトラブルに誠心誠意立ち向かうことです。そのことによって周りはそのドクターの行動に共感を覚え応援してくれるはずです。それがあなたを成長させてくれます。

 

 

 

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