菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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128.自分の主張の背景を良く考えよ

我々は学会や論文で自分の信ずるところを主張します。もちろん科学ですからその根拠を挙げて主張する訳です。しかし、問題は時々その根拠となっているデータそのものに妥当性があるかどうか疑わしい場合があります。それを今日は例を上げて話をします。

腰痛の治療は、世界中千差万別です。しかも、その腰痛の原因が不明である事が多い為に、腰痛の治療にはありとあらゆる職種の人が参加して、それぞれが全てそれなりの根拠を持って正統性を主張しています。これは一見腰痛に悩んでいる患者さんにとってはいいことのように思います。しかし、普遍性があり、科学的に裏付けされた根拠によって治療されるという理想からは程遠いのが現状です。では何故このように様々な意見が出るのでしょうか。

最近一つ重要な点に気付きました。脊椎外科医を自認すればする程、或いは一流としての名声が高ければ高い程その医師の下には手術が必要な患者さんが集まります。結果的にその医師の腰痛疾患に対しての手術の頻度は非常に高くなります。これに対して、カイロプラクティックを始めとする民間療法家のところには、整形外科医のところで「骨には異常がない。重篤な疾患は無いから、薬でも飲んでいて下さい」と言われ、碌な対応もしてもらえず、結果的に医師に対して不信感を持った患者さんの大部分が流れている様に思います。

腰痛患者の大部分は自然寛解するわけです。さらに、民間療法を含むあらゆる治療法にはスキンシップがそこに存在します。その結果、大部分の患者さんは治る訳です。その結果だけを見ると、腰痛の患者さんは大部分治るという印象を整形外科医以外の方が持つのは当然の帰結です。一方では、手術で治らない患者さんが多いという印象を持ち、他方では手術をしなくても全部良くなるという印象を持ちます。これでは比較に足る2群にはなっていない訳です。

俗な言葉で言うと、お互いに違った木を見て森を見ていない訳です。見ている木が最初から違って、しかも、森を見ていない。すなわち、腰痛患者の全体像における自分の取り扱っている患者さんの割合、およびその種類について考えが及ばないのです。どちらにも非があります。ですから自分の信ずるところを主張するときには、その根拠が妥当性があるのかどうかpeer reviewが必要です。そうしないと結果的には、それは隠居の茶飲み話であり、居酒屋の国会に過ぎなくなります。お互い心してデータの処理に当らなければなりません。

 

 

 

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