菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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131.“一流”から学べ

研修途上の医師にとって、先輩は神のように思えます。何故こんなにも知っているのだろう。何故こんなにも上手に何でもこなしてしまうのだろう。卒後間もない頃、先輩と一緒に働いていてこのような想いを絶望感と共に思ったものです。覚えなくてはならない知識や技術の量にむせ返るような感覚を持ったのもこの頃です。今から考えると、あんなに悲壮感を持たなくても時が解決してくれるのにと思います。

今の私の立場から、研修を実り多いものにするためにはどうしたら良いかを考えるといくつかアドバイスが出来るように思えます。一つは、理想像の設定です。このような医師になりたいとか、卒後何年までには何をしていたいか等、具体的な目標を設定すると研修しやすくなるように思います。長い一直線の廊下を歩く時に、遠くの一点を見詰めて歩くと下を見詰めて歩くよりも真直ぐに歩けます。この理想像の設定が、言うは易く、行うは仲々難しいものがあります。理想像を設定するには、自分の置かれている医療・医学の世界を知らなくてはなりません。自分の見聞している世界が狭ければ、その理想像はあまり魅力的なものにはなり得ないでしょう。目標するに足る理想像をつくるためには、多くの世界をみることです。勿論医学的なことには限りません。

私には、この事に関して印象深いエピソードがあります。ボストンで開催された学会で発表が無事に終わり、午後、お祝いにロブスターを食べようと街に出ました。御目当ての店を目指したのですが、結局行きつけませんでした。やむを得ず、たまたま目の前にあったホテルのボーイに、「この辺にロブスターで有名なレストランがある筈だが」と尋ねました。ボーイは2、3分奥に引っ込んでから戻って来て、「ここのレストランでおいしいロブスターを出してくれる」と、我々を2階のメイン・ダイニングに案内してくれたのです。迎えに出てくれた黒服は、優しさと親しみを感じさせる極く自然な態度で奥のコーナーの席(最も良い席)に案内してくれました。そのホテルの雰囲気やレストランの静謐を持った高級感、従業員の紳士的でも決して慇懃無礼にならない優しさに、相当なホテルであることはすぐに分かりました。しかし、通りすがりの観光客を予約なしに最上の席に案内してくれるのだから、そこそこのホテルで、拾いものの機会を得たものだと感じて食事に臨みました。

華やいだ雰囲気を抑えたような静かな客達の会話、下手な英語と付き合ってこちらに全く緊張を強いず、辛抱強くメニューやワインを決めていく黒服に、今まで経験したうちで最高のレストランでのHospitalityを感じました。そこでよくよくメニューをみたら、[Ritz-Carlton」と書いてあるではありませんか。小説や映画によく出てくるあのBostonの“Hotel Ritz-Carlton”です。その時の驚きは昨日のことのように思い出せます。

私がここで言いたいのは、このホテルの従業員達の一流のプロとしての態度です。どんな客でも、その客に全く不安、緊張感、あるいはバツの悪い思いを感じさせないプロとしての対応、これこそが一流なんだと、それ以来私は他人への評価の基準に彼を置いています。私自身も彼のようになろうと努力しています。

我々も医師だけでなく、その道の一流と言われる人に出来るだけ接して、彼等から多いに学ぶべきです。そういう数々の出会いから、自分の理想像をつくり、それに一歩一歩近づく努力をしていると、いつの日かそれに到達出来るように思います。どの位近づいたのかは自分が評価すれば良いのです。

 

 

 

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