菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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160.ナースコールは看護婦さんの為だけにあるのではない

前から気になっていたことがあり、今日はそのあまりのひどさに遂に堪忍袋の尾が切れて、医局員に注意してしまいました。深夜の看護婦さんはたった2人での勤務です。2人で朝の忙しい業務をこなしているのです。医師は、朝7時からの回診に備えて多数ナース・ステーションに出てきています。朝7時から患者さんを診るということは、医師のいない最も長い夜の時間に対応するという点で、医師の姿勢そのものは素晴らしいもので、称えられるべきものだと私は考えています。しかし、だからといってナース・ステーションに立っていて、ナースコールが鳴っても誰1人としてナースコールの受話器を取らないことに就いては、私は驚きの念を禁じ得ません。

我々の仕事は、何度も念を押すようにチームアプローチが全てです。そして、ほんの少ししか立証されていない科学的有効性と、驚くべき効果が認められているプラシボ効果の合計した威力で、患者さんの治療に当たっています。プラシボ効果が莫迦に出来ないことは、既に多くの科学的論文が指摘しています。プラシボ効果には、医師の熱意溢れる勤務の行動、患者さんに対する自信のある話し掛け、そして、患者さんのことを考えて行動しているという態度から発散されるメッセージの伝達、というような要素から成り立っています。また、治療に対してのプラシボ効果は、手術という目標に向かっての一丸となっての一連の流れ、医師や看護婦の患者さんの手を握ったり手を重ねての励まし、このようなものが不特定な治療効果とされ、重要なプラシボ効果とされています。我々はこれを治療に利用しなければならないし、利用しない手はありません。

そのような背景を考慮して、このナースコールの問題を考えた時、看護婦さんがいないから医師が自らナースコールの受話器を取るとします。そして話の内容を看護婦さんに伝達すれば、少なくとも看護婦さんは、医師がナースコールを自分の代わりにとって役目を果たしてくれた、その善意に感謝や信頼関係を覚える筈です。また、看護婦さんがいなければ、自分で出来ないながらもナースコールの要求に応じて患者さんの枕元に行って、自分が出来れば自分でやる、自分で出来なければ看護婦さんを呼びに行くまで待っててくれというメッセージを患者に伝える、このこと1つがどれだけ患者さんを感激させてくれるか、分かりません。そのたった一つの行為が患者さんと医師との間に信頼関係を築いてくれるのです。

私が教育職に就いた時、最も拘ったのは手を掛ける医療です。バック・ケアを医師自ら行うことを指導したり、術後の起立・歩行時に、自ら患者の前に立ち、患者に自分の肩に手を置かせて身体を支えさせサラシを医師が巻いてやるというのは医療のプラシボ効果が期待出来る最たるものの一つです。そういう処置を受ける患者がイヤな気持ちを持つ筈がありません。

何度も言うように、医療は1人でやるものではありません。チームアプローチです。そのチームアプローチには相互信頼関係が欠かせません。そのチームアプローチには患者さんとの協同作業も入っています。その為に、自分の何気ない行動が大きく周囲に影響することを考慮して行動しなければなりません。早くそういうことに、自然に気が付くような医師になって欲しいものです。

 

 

 

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