菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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161.大切なことは、何になったかではなく、何をしたかである

人事の季節がきました。自分の望んでいた地位や立場が得られなかった人、悲喜交交の情景が毎年繰り返されます。また、教授選など、明らかに相手より自分がより臨床の力も業績もあると自負している人にとって、思わぬ結果は自分の努力や世の中の価値感すら疑わしくなることが稀ではありません。

No.146 に、「努力をしても必ずしも報われるわけではない、しかし、努力をしなければ報われることはない」ということを書きました。卒業した学校、自分と先輩との関係、あるいは自分の家庭環境、その時点での年齢や専攻科目、更にはライバルとの年齢差等、自分に与えられた環境は自分ではどうしようもありません。人事が決定される際には、巡り合わせの条件が、その人間の能力や業績と同じ位、あるいはひょっとしたらそれよりもっと大きく作用する筈です。

自分でどうしようもすることのないそのような条件を呪ってみても始まりません。そのような条件の善し悪しは、何かになるためには重要な条件です。しかし、何をするかには全く関係ありません。自分に与えられた環境の中で、自分の努力だけで成し遂げることが出来ることに就いて全力を投球することこそが、自分を満足させることが出来るのではないでしょうか。

幸い、我々医療人を評価する尺度として、患者さんをどれだけ集められるか、患者さんの信頼をどれ程勝ち取れるか、あるいは学問で世界的に通用する業績をどれだけ挙げられるかどうかという世界共通の普遍的な評価基準があります。これらのことは自分の努力だけで解決出来得る問題です。何故なら、No,78にも述べましたが、ある環境が自分に与えられた場合、どんな場合でもそこでしか出来ない診療や研究があるからです。与えられた環境をどう捉えるかは偏に自分の認識の問題です。そして、自分がそのことに幸せや満足感を感じるかどうかは、周りの環境によって左右されず自分自身で認識するものだけに、掛替えのないものです。自分が幸せかどうか、満足感を得たかどうかは自分自身の認識の問題であって、周りの環境の問題ではありません。

自分に妥協なく、誇りを持って生きる為には、何になったかも大切ですが、それ以上に何をしたかが重要な意味を持ってきます。そのことを充分認識して、自分自身を磨いていくことが必要なのではないでしょうか。

 

 

 

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