菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

<< 前のページ  目次  次のページ >>

164.幾らシステムを作っても結局は人

またまた、前と同じようなトラブルが起きてしまいました。患者さんの術後の麻痺の発生にもう少し早く気付いても良かったのではないかという事態です。術後3日目の午後になって気がついた麻痺は、果たして術後2日目ではどうだったのか、3日目はどうだったのかという疑問が出て来ます。当然、翌日に麻痺のないのは確認されているようです。

私自身、患者さんとのコミュニケーションの切っ掛けを得る目的と麻痺発生の見逃しを防ぐ為に、頚の疾患で入院している患者さんには毎日握力計を持って廻診していました。只、単に「変わりはないですか」という廻診で終りがちな日々の廻診を握力を計ることにより、例え一日3回、朝昼晩廻診しても見逃しがちな麻痺出現を早期に捉えようとする自分なりの工夫です。私は、頚の患者さんには握力計を使ってその計測値を話題にして会話をしながら患者さんを励まし、麻痺の変化をチェックしたものです。私がこの教室に赴任して以来教えてきた、このような臨床のちょっとしたコツを愚直に真似していればもう少し早く発見出来た筈です。

当たり前ですが、麻痺発生を叱っているのではないのです。我々は脊髄の難しい症例を扱っている以上、麻痺の発生は当然起こると覚悟して仕事をしています。問題は、その麻痺発生をもっと早く発見出来なかったのかという問い掛けです。前にも書きましたが、廻診は「熱い心と冷たい頭」を持ってやるものなのです。勿論、みんな失敗しながら生きているのです。その上、それでももっとひどいことが起きるのです。でも、みんなベストを尽くしているのです。 No.124「日々新たなり、烈志暮年 壮心不已」 にも書きましたが、我々は「結果が全て」というプロの掟を受け入れるしかないのです。学習効果は遺伝しません。しかし、少しでも患者さんや自分へのダメージを少なくする為に、先人が獲得してきた医療の智恵を学ぶ必要があるのです。

20年以上にわたる医師としての生活のなかで私の得た教訓、「医師の居ない一番長い時間は夜である、その為に早朝廻診が必要である。そうすると患者さんに前の日に起きたことをその日にうちに対応してやることが出来る」、「見落としがないように、そして信頼感を得る為に1日3回の廻診をする」といったことを生かすことで、患者さんの不安や不満を少しでも和らげ、そういう日々の行いが、例えベストを尽くしても満足した結果が得られなくても、或いは万が一見落としがあっても、治療内容やその結果を患者さんは受け入れてくれるという状況を作り上げる可能性が出てくるのです。

しかし、今度のように、何人もの眼で1日3回毎日廻診してもやはり見落としは起きることが明らかになりました。ここで感じられるのは、幾らシステムを作っても、ヒューマンエラーは結局、各個人の危機意識と繊細な注意深さでしか最終的には避け得ないということです。幾ら組織やシステムを変えても結局は人の問題です。人間その人自身に危機意識がない限りは、どんなシステムや組織を作っても結局は蟷螂の斧です。

No.85「自分の評価は結果で、部下の評価は経過でみよ」 にも書いたように、1日3回の廻診も目的を持たずに行えばそれはセレモニーです。患者さんや周囲から信頼される医師になる為には、多くの合併症を経験することが必要なことは、残念ながら認めざるを得ません。だからこそ、取り返しのつかない合併症やトラブルを少しでも少なくする為には、日々先人逹の学習効果を学ばなければなりません。トラブルがあって初めて先人の教えに改めて気付くというのは自分も何度も経験しています。しかし、患者さんの合併症やトラブルを経験しない限り大成しないというのであればそれは患者さんとっても、医師にとっても不幸です。

 

 

 

▲TOPへ