菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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206.良き伝統は、各自が意識しないと守れない

私は毎朝、整形外科の教室に寄ってから自分の執務室に入ります。最近、余りにも共同作業の場である医局の机に、物が乱雑に置いてあったので、スタッフに檄文を送りました。

学生からみた、或いは関係者からみた整形外科の魅力は何でしょうか。スタッフの時間厳守、きちんとした挨拶と服装、心のこもったお持て成し、そして患者に密着した医療などです。学生との懇談では、常に、教室員の学生に対する親切さ、整形外科教室の清潔さと、そして秘書達の学生に対する丁寧な対応が話題になります。にも拘わらず、先日の机の上の乱雑さを見て、私は哀しみと怒りを感じました。

今まで守るべきものとして守られてきたものが守られなくなってしまうのは、組織自体の経年的劣化か組織を構成する人達の意識の低下が原因なのでしょう。細かいことでも良き伝統を守るには、組織を構成している各自に相当な覚悟と気配りが必要です。共同の作業場として設けられた医局の机が、何時の間にか、私物や何処に置いて良いか分からない物の物置場となっていたのです。

このようなことは、何処の組織でもよく見られる光景です。そんなことを考えて、通勤時に、病院の正面から入ってくると、病院の看板になっている大きな石造りの看板の周りが草ボウボウで、周りから看板がよく見えず、石の看板自体も汚れていました。組織がきちんと秩序を保ち、活発に活動しているかどうかは、組織の施設内に入って、道端の雑草の生え具合を見れば分かるということは、よく指摘されることです。私の現在の立場からすれば、教室の乱雑な部屋と同様に、大学の玄関の荒れ様は、大学を構成している人間の無神経さと組織の弛緩を示す由々しき問題です。大学人の意識や組織の弛みを部外者から問われてしまい兼ねません。そこで早速、関係者に御願いして清掃して戴きました。次の日、見違えるような病院の入り口を目にすることが出来ました。

人は、失って初めてその重要性に気付きます。例えば、黙々と仕事をしている職員が、定年で辞めていなくなり、初めてその人間の偉大さ、そしてその人がしていた仕事の重要性に気付くことは稀ではありません。それと同様に、乱雑な机に代表される、些細なことに気を配ることが出来ずに放置しておくと、遂には、失ったものでしか語れない状態になってしまいます。

医療でも同じです。地域医療も医療従事者の献身的な努力で維持されているうちは、誰もその大変さや、有り難さに気付きません。気付いているのは、患者さんだけです。医療従事者の志や献身的努力だけで辛うじて地域医療が守られている時には、行政、或いは立法の方々からは、何の感謝の表明もないことが普通です。しかし、頑張っていた医療従事者が燃え尽き、地域の医療が維持出来なくなると、初めて彼等/彼女等の存在や働きの重要性に気付き、大騒ぎをします。時には、医療従事者の志の低さや精神的な弱さを非難する首長や議員さえいます。残念ながら、一旦、緊張の糸が切れた人間には、もう一度気力を振り絞って頑張ろうということは不可能です。その時になって初めて、感謝や労いの言葉を掛けてもらっても最早、彼等/彼女等には何の励みにもならないのです。

失ったものでしか語れない、つまり焼け野原にならないと人は失ったものの大切さに気が付きません。しかも、立て直しは焼け野原になってからのほうが楽です。但し、時間もコストも掛かります。ですから、何の変化もなく、黙々と機能している組織の維持には、それを支えている人々への細やかな気配りと感謝の言葉が必要です。

(2008.09.26)

 

 

 

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