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「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜

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2010年 4月 4日付 福島民報 「日曜論壇」(1)

「福島民報」は、県内最大の発行部数をほこる地方紙の日刊新聞です。「日曜論壇」は県内各界の第一線で活躍する著名人によるコラム欄で、半期ごとに執筆陣を更新しながら毎週日曜日の本紙2面(社会欄)に掲載されています。
菊地臣一本学理事長兼学長は、今年度上半期の執筆陣9名の1人として選ばれ、4月〜9月まで3回の執筆を行います。(次回掲載は6月6日予定)

福島民報社  http://www.minpo.jp
   (
日曜論壇掲載ページ「論説・あぶくま抄」 )  http://www.minpo.jp/column.html

出会い

側にいる他者とのかかわりの積み重ねを「人生」と定義すれば、「人生は出会いに尽きる」と言える。
なぜなら「人生の扉は他人が開く」からである。

顧みると、長い修業の日々、矛盾と不条理が渦巻く現場での経験、学生や弟子との交流、その中で多くの出会いがあった。その出会いを生かすことのできた幸運を考えるとき、ただ感謝あるのみである。

今という時代、教育や医療は混迷の中にある。
教育現場には、さまざまなシステムが導入されている。ただ、私にはシステムの良否を議論する前に、「教育とは一緒に動くこと」という哲学が存在する必要がある、という思いを捨てられないでいる。
教育は、教える者の熱い心と学ぶ者のひた向きな姿勢があって初めて成立する。プロの職業人として生きていくためには、多少の理不尽さに耐えていくことが求められる。
「修行とは矛盾に耐えること」も一面の真実なのである。

巌に爪を立てるような努力をしている若者の姿を見て、教える立場にある者はそれを愛しいと感じて教えの手を差し伸べる、こうして師弟の絆が成立する。
この絆は、双方が相手への敬意と信頼を持つことから成り立っている。そこには地位、年齢、あるいは職業は関係ない。

「風を待つ軒下の風鈴」では、誰もが認めてくれるプロの職業人にはなり得ない。時には、心に鎧を着せて行動することも求められるのである。そういう姿を周囲が見て、相互信頼が築き上げられていくのである。

プロの職業人として大成するのに最も大切なのは、“悔しさ”とか“心の傷”であるような気がする。
満たされていない心を満たそうとする心の渇きが研鑽を積む原動力になる。また、他人を羨む心もその一つかもしれない。さらには、他人を超えようとする強い願いも、出会いを真に意味あるものに結実する動機付けになるだろう。

今の研鑽の場には、豊かになってすべてが満ち足りているせいか、自ら枠を作っているような雰囲気がある。それでは、出会いを生かす機会は減ってしまう。

人生は、座っている人間を立たせたり、他人の愚痴に付き合ったりしているほど長くはないのである。
事実、「人間の生命(いのち)は[ひとつ]と数える暇もない」(シェークスピア)や「振り返ってみれば人の一生なんてあっけないもの」(佐藤洋二郎)なのだ。
それだけに、自分を一人前の人間にしてくれる出会いに巡り合い、そしてその出会いを奇跡にするには、双方の熱意と信頼が合致することが必要である。それを持ち得た人は、その僥倖(ぎょうこう)に感謝しなければならない。

(福島医大学長)

 

 

( ※ Webページ向けに改行位置を改変し、転載しております)

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