「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜
2012年12月25日発行 月刊誌「臨床整形外科」 第47巻第12号
「臨床整形外科」(臨整外)は、医療系学術専門誌出版社「医学書院」より発行している、整形外科領域の第一線の臨床的知識を紹介する月刊誌です。医学界および関係領域で活躍するエキスパートを編集委員等に迎え、学術専門誌としてのクオリティと正確さを堅持しています。
菊地臣一本学理事長兼学長は、編集委員を経て、現在は編集主幹として発行に携わっています。
● 医学書院
http://www.igaku-shoin.co.jp
(「臨床整形外科」 紹介ページ) http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/rinseige
● あとがき
今年最後の12号のあとがきを、11月1日に記しています。
歳を取るごとに、歳月は勝手に来て、一瞬の裡に去って行ってしまいます。“人間の生命は「ひとつ」と数える暇もない”(シェークスピア)を実感します。
夢を語るよりも、思い出に浸ることが多くなると、人は「老人」に分類されるといいます。ただ、歳を重ねることは、必ずしも悪いことばかりではありません。人はいくつもの断念を積み重ねて歳を取っていきます。その結果、若い時にはみえなかったこともみえるようになります。
「何かを得るには何かを捨てなければならない」は、ここでも真実です。
1971年に卒業しての修業時代、1990年に教授職に就いて、今に至っています。
修業時代、色々な論文を書きました。そんな時の流れのなか、論文の読み方も「経験」とともに変わってきました。若い時には、「何が書いてあるか」が論文を読む目的でした。その後、「どう書いてあるか」に関心が移りました。その時期を過ぎると、「対象と方法」に焦点を当てるようになりました。
編集委員として論文を読む立場は、執筆者のそれとは異なります。その時感じたことは、教授就任間もなく執筆した「投稿査読で思うこと」(整形外科44:776,1993)に記したので省きます。
今、感じることは、「経験」を積んだ老人にとっては、熱の入った論文とそうでない論文は、一目瞭然ということです。「経験」が教えてくれたことです。大袈裟に言えば、文章は人柄や生き方を映します。
「経験」が、人生に潤いを与えてくれることは他にもあります。
私にとっては、解剖慰霊祭に対する臨み方です。私は、若い時から解剖を研究手段としてきました。ある時から脊柱管の中に入って天井を見上げている感覚を掴みました。
その当時は、「御遺体への感謝」、それが臨席しての感情でした。
そして、組織のトップとして最前列で式に臨んでいる今、人生で今まで経験したことのない感覚を抱くようになりました。献花の時、遺族の方々が、祭壇に表示されている親族の名前を探し、指差して会話をしているのです。この時、彼岸から戻ってきた死者と生者との話が、残響として聞こえてきます。亡くなられた人間に問い掛けても戻ってくる言葉はありません。あるのは裡(うち)にある自分の声です。しかし、これが人間の「情愛」だと思うようになりました。
多数の論文が、本号に掲載されています。
一つの論文が自分の人生を変えてくれた経験を有する者として、本誌がそのような機会を提供している可能性を信じます。
( ※ Webページ向けに読点や改行位置を編集し、転載しております)