「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜
2013年9月25日発行 月刊誌「臨床整形外科」 第48巻第9号
「臨床整形外科」(臨整外)は、医療系学術専門誌出版社「医学書院」より発行している、整形外科領域の第一線の臨床的知識を紹介する月刊誌です。医学界および関係領域で活躍するエキスパートを編集委員等に迎え、学術専門誌としてのクオリティと正確さを堅持しています。
菊地臣一本学理事長兼学長は、編集委員を経て、現在は編集主幹として発行に携わっています。
● 医学書院
http://www.igaku-shoin.co.jp
(「臨床整形外科」 紹介ページ) http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/rinseige
● あとがき
本号が読者に届くのは、先祖や東日本大震災、あるいは避難先で亡くなった人々へ鎮魂の祈りが捧げられている頃です。
何事も無かったように動いていく世の中、一方では亡き人を忘れまいとする心、忘れることで区切りをつけ歩み出そうとする人、これが世情です。ただ、今言えることは、大震災とそれに伴う原発事故は、われわれが生き方や世の中のあり方を振り返ったことです。何かが変わりました。後世、史家は人類の歴史の転換点と位置づけることでしょう。
私自身、この歳になって初めて死生観を問われました。それまで何の覚悟も諦めもしていない自分に愕然としました。「人間、如何に生きるか」です。
「人生」の定義は様々です。“側にいる他者との関わり”、“断念や後悔の積み重ね”、あるいは”順位をつけて選ぶことの繰り返し“などです。
世の中の中心にも、トップに居るわけでもないわれわれでも、その人には各々掛け替えのない日々があります。それが人生です。
身近な人の死に接する時、自分に残された時間に思いが至ります。
「人は満足を探すべき時に幸せを探して回り、それは見つからない」、「おまえは何をしてきたのだと吹きくる風が私に云ふ」(中原中也「山羊の歌」・「帰郷」)…。
ここ5年ほど、大学のサイトに 「花だより」 という駄文を毎週書いています。
歳時記には、普通、誕生日が記してあります。人生の始まりから数える考えです。書いているうちに、人生の終わりから数える命日に目が行くようになりました。
執筆開始当初、原発事故前、そして今、「花だより」の文体が変わりました。
そこで気がついたことがあります。それは、「人は過去を断ちきられてしまうことが、未来への不安よりも応(こた)える」ことです。われわれは、原発事故で何が起きて、どうしたのかを、次代を担う若者に伝えていかなければなりません。なぜなら、時の動きは「時代が変わる」のではなく、「人が代わる」ことだからです。
わが国の復興、復活は、人材育成に尽きます。その際、われわれ医療人にもっとも欠けているのが、「情報の共有化」と「発信」の欠如です。しかも、発信のほとんどは「プロの罠」に陥っています。
医学論文でも、国際雑誌や本誌の編集に携わっている立場からみると、受け止め方に危惧を覚えます。
それは、各国の社会背景や医療制度の違いを織り込んで、情報を咀嚼していないことです。
英語論文に書いてあることを鵜呑みにしないで欲しい、切に思います。そのためにも、普段付き合いの海外交流は大切です。そうでないと、米国における脊椎外科医の社会的失墜がわが国でも起きてしまいます。
本号は、新技術の特集や温故知新が掲載されています。未来を向くことは大切です。一方で、過去に想いを馳せることも大事です。なぜなら、私達は過去を向き、未来に背を向けて前に進んでいるのですから。
( ※ Webページ向けに読点や改行位置を編集し、転載しております)