菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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153.他との比較で自己認識を測る

No.42No.46 に書きましたが、自分の医師としての姿勢をも含めた能力が、医局内ではどうか、或いは全国という広さでみるとどうか、或いは世界の規模でみるとどうか、ということを絶えず考える必要があります。何故ならば、自己の医師としての全人格的力量や知識、技術の能力は、他者との比較でしか評価出来ないからです。絶対的評価ということはあり得ません。

卑近な例を挙げて述べてみます。私自身は単身赴任で生活をしています。単身赴任の生活をして初めて認識出来た事があります。食事は電子レンジで、冷凍した御飯を解凍することで準備をします。冷凍した御飯のまずさを知って初めて、炊きたての御飯の美味しさを知りました。温かい食事の準備に対する感謝の気持ちも生まれました。一流の料理人が辿り着く結論は、「冷たい物は冷たく、温かい物は温かいうちに食べさせる」だそうです。私の様な人間では、自分で食事の準備をする事によって初めて料理人の極意とされている事の意味が分かった様な気がします。

一般の社会では、逆境を知っていることにより、現在の自分のおかれている環境の素晴らしさを知る事が出来ます。逆に、逆境を知っていないと、自分の現在のおかれている環境を常に憂い、嘆き、その環境のプラス面を見ようとすることは出来なくなってしまいます。悲しみがあるから喜びがある。不信があるから信頼がある。悲嘆があるから感激がある。この様な単純な事が、この年になってようやく分かりかけてきた有様です。若い時には私は全く分かりませんでした。

東北の雪国に住んでいると、毎日が晴れている日だと良いのになぁ、と思います。しかし、雪や雨があって初めて晴れた日の素晴らしさを実感し、また、晴れた日があるから雪や雨の日にもそれなりの趣を感じる事が出来ます。そうする事によって、物事の一つの事象に対する多様性の価値が理解出来る様になる様に思います。

この様な事実を背景に、現在の、自分なりに心血を注いで作ってきた医局を見てみます。私が教授就任以来の入局者で海外や学外留学をしていない者は、遂にいなくなりました。私自身が色々な職場を経験して初めて、多くのことを知りました。自分の医局の至らなさ、足りなさ、或いは逆に自分の医局の素晴らしさを知る為にも、他所の環境を知る事が大切だと思い、積極的に医局員を研修に出しました。

これは一見素晴らしく見えますが、他の大学では見られない事です。一歩間違えば辣韮の皮剥きと同じで、何もその医局には独自性のものが無くなってしまいます。私はその様な危険を冒してでも、他所の環境を知る事がこれからの医局の人材育成には必要欠くべからざることで、この様なシステムは今後も続けていくべきだという信念を自分の経験から持っています。色々困難はありますが、他者との比較で初めて自己認識が出来るという事を理解して欲しいものです。その事を実現する為にも現在の医局のシステムを皆で支えて、この良いシステムを次の世代の人達に継いでいきたいものだと思います。

 

 

 

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