菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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179.誤解を招く様な言動はするな

「李下に冠を正さず」という言葉がある様に、何気ない言動により自分では意図しない様な誤解を招き、その結果、思いも寄らない反響が周囲に起こることは、公私を問わず度々あることです。我々、医療人の場合には、仕事の場で特にこのことに注意を払う必要があります。何故なら、医療の現場には様々な価値観を有する人々が、只一瞬、或いは一時の出会いで交わっていることが少なくないからです。相互理解が充分ない状態での意見交換や意志表明が行われるのが普通だからです。

最近、朝の廻診の時、7時半のカンファランスの始まるまでに時間に余裕がある時に、医局員の多くは病棟で雑談をしています。雑談それ自体は問題はないのですが、雑談をする場所と時が問題なのです。雑談をしている脇では、深夜から働いている看護婦さんが忙しく立ち働いています。彼女達への思いやりがあるなら、そこでの雑談は、彼女達の仕事をするうえでの邪魔になるということに思いが至り、そこでは雑談をしない筈です。

また、一所懸命働いている看護婦さんの立場からすれば、何と呑気なもんかと思う気持ちが起きない筈がありません。更に、もう一つの問題があります。病棟での雑談には笑いが伴いがちです。笑い、それ自体は問題がありません。但し、場所が問題です。そして、相手が問題です。重篤な患者さんが数多く入院している病棟での、患者さんと相対しての笑顔や笑いは、患者さんにも受け入れられるし、患者さんを元気付けることにもなることは、よくあることです。しかし、患者さんを外しての医療従事者同士の雑談での笑い声は、闘病生活を送り、また、体調の優れない患者さんにとっては、不愉快なものです。

この問題のもっと深刻なことは、周囲のことに敏感になっている患者さんにとって、その笑いが自分に向けられたものであると過剰に反応しがちであるという事実です。デパートや店に行って、店員同士が笑い声を発していると、それ自体あまり感じの良いものではなく、時には自分に対しての嘲りと取ることもあります。病棟では、雑談をするなら患者さんのいない所ですべきです。そして、時間を無駄にしない為には、カンファランスを早く始めれば良いのです。7時半からのカンファランス開始という時間設定は、7時半に始まることが目的ではなくて、皆が時間を無駄にせずスムーズに業務を遂行する為の手段なのです。

また、最近情けない事例を経験しました。恒例の学生との会食で、ある医師が「朝の教授の来棟や温度板のチェックはセレモニーだ」と学生の前で言っているのです。その発言自体は、あまり問題ではありません。何故なら、その通りだからです。しかし、時と場所を弁えないという点で、その発言は妥当とは言えません。

理由を挙げてみます。一つは、何故、私が7時に病棟を訪問するに至った理由に、その人間が思いが至っていない点にあります。以前、私は病棟へは7時半に上がっていました。この時期、紺野慎一君が独りで病棟廻診をしていたことが度々あったのです。例えセレモニーでも、私が行くことにより、私の目を意識して、全員が時間通り集まって、早朝廻診が予定通り淡々と毎日行われれば、患者さんにとって医師のいない一番長い時間を短縮出来、時期を逸さずに対応することが出来ます。その様な日々の行動が患者さんと医師の信頼関係を築いていくのです。問題は、私が行かなくても、朝廻診の持っている深い意味を考えてそれを行うことが出来る医局員の数が少ないという点にあります。そこまで考えての発言なら致し方ありません。

二つ目の問題は、発言を聞いている人々の顔触れです。朝廻診の持つ意味を知っている人達だけの前での発言であれば、その発言自体はユーモアととられるかもしれません。しかし、毎日淡々と変わりなくやることやセレモニーの重要さを知っていない人、例えば学生の前でその様なことを言うと、学生はそれをその通りにしか受け取れません。学生には、私や教室員が早朝廻診に込めている、或いは私が早朝に病棟に行かなければならない理由など分からない筈だからです。

第三には、組織には何処の組織にも組織訓があり、ミーティングがあり、社風があります。これは作られるものではなくて、作るものなのです。私が約10年を掛けて作ってきた医局としての立ち振る舞いや医局のビジョンが医局のカラーを作ってきたのです。もし、私が大学には来ていても、その時刻、病棟に上がらなければ、若い人や学生のなかには「教授は言うばかりで自分は楽をしている」と考える人もいるかもしれません。勿論、私は病棟に行かずに、従来の様に、その時間に自分の仕事をしていた方が合理的であることは確かです。しかし、行くことにより、教授も同じ時間に来ているのだからと思い、辛い気持ちも幾らかは救われる若い人もいると思います。誰でも何時かは、経験を積むとともにこういうことの重要性を必ず認識するものです。前にも述べた様に、プロとして必要な身の処し方に就いて、理解出来たことを理解出来た時点で実行するというのでは、この世界では遅すぎます。先ず形から入ることも必要なのです。

最後に、セレモニーの裏にある各個人の個性を殺さないという意味を噛み締める必要があります。最も実際的なやり方は、私がグループ長から報告を受け、私の意見に添って少人数の医師が指示を出せば、それが最も合理的で、短時間で業務が進みます。しかし、それをすれば、医局員各自が持っている個性は殺されます。個性を最大限に生かす為には、組織が各個人に荷す共通の義務を最小限にしなければなりません。そうすることによって初めて、組織は生き生きとします。

この様に、ユーモア、冗談、或いは皮肉は、TPOを考えないと、時に組織や個人を傷つけ、更には、言った本人自身が傷が付くことがあります。自戒を込めてここに記します。「誤解を招く様な言動は避けるべきである」と。

 

 

 

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