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理事長室からの花だより

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2011.05.06

vol.124【番外編】  − 東風 (ひがしかぜ) −

今日(執筆日:5月2日)は、“夏も近づく八十八夜”です。
立春から数えて八十八日にあたる日、霜がつかなくなり安定した気候になる目安のようです(飯倉晴武「日本人数のしきたり」)。四国八十八箇所という言い方もあることから、何か別な意味もあるのでしょうか…。

鉄路からの眺めに何かが欠けているようで、気になっていました。
それは人の姿とその動きです。田畑や校庭に人がいないため、色彩の乏しさと共にそこから聞こえる(実際は聞こえる筈はないのですが)息遣いやざわめきがないから違和感を覚えるのです。
一方、この時季、道傍では花水木(ハナミズキ)が今年も爽やかさを演出してくれています。民芸館周辺の花水木はいつも見事でした。

大震災と福島第一原子力発電所での事故発生から1か月以上経過しました。
自然保護とか環境保全などという言葉は、人間からのみの視点であったことを思い知らされます。
街のイルミネーションを素直に愛でることのできなかったのは、振り返ると暗示的でした。
  (vol.60 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=86
  (vol.106 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=134
この事故は、日本人の“自然の中に住まわせて戴く”という古来の思想が、今の時代に合った姿で蘇る切っ掛けになるような気がします。

田舎育ちには、「自然を守る、親しむ」という言葉に若い時から違和感を覚えていました。
私は、雨が降るとすぐ泥道と化す小道の脇にあった、手堀りの用(排)水路の底に孑孑(ボウフラ)が隙間なく繁殖しているのをみていた、多分、最後の世代です(ボウフラという言葉は死語でしょうか)。
そんな情景が日常の中にあっただけに、人々のいう自然とは、所詮、里山に代表される“管理された自然”(vol.79)であって、手付かずの自然の中では人間が生活なんぞできないという思いを子供心に持っていました。
  (vol.79 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=105

4月27日夜、今年初めて蛙の鳴き声を聞きました。
         古池や蛙飛びこむ水のおと
                                芭蕉
分かったような感じでいました。
一冊の本(長谷川櫂「古池に蛙は飛びこんだか」)で、この句の奥深さを知りました。
古池に蛙は飛び込んでいないのだそうです。
 
会津に出掛けて来ました。春風の心持良さを久し振りに肌で実感しました。
         春の風は暗(そら)に庭前(ていぜん)の樹を剪(き)る
                                傅温(ふをん)「和漢朗詠集」

目の前の課題に対応するのに精一杯の日々だからこそ、「ドラマは外側にあるのではなく、人の心のなかにある」(北上次郎)を実感します。

今週は、週始めに花を活けても3日連続の休日です。
誰にも愛でてもらえない花が可哀想なので、花は止めにしました。



(福島県立医科大学理事長 菊地臣一)

今週の花

【理事長室】
今週はお花の活け込みをお休みしております。
   

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