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理事長室からの花だより
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理事長室からの花だより
vol.355 − 委 (ゆだねる) −
春時雨(はるしぐれ)、沈丁花(ジンチョウゲ)の香りが、鋭く走り寄ってきます。心ときめきます。
弥生(やよい)、切なさが込み上げてきます。
「別れは人間(ヒト)を成長させる」のですが、今という時代、時の移ろいに身を任(ゆだ)ねることが困難です。
それが世情を荒くしています。
月日は百代の過客にして (つきひははくたいのかかくにして)
行かふ年も又旅人也 (ゆきかうとしもまたたびびとなり)
芭蕉「奥の細道」
“すべては移ろい、過ぎ去っていく”、この無常観は、我が国の四季から育(はぐく)まれました。
我が国の古典文学や芸能にも、この無常観が貫かれています。
だからこそ、遙かな昔から、日本人の心に、目の前の出来事には拘(こだわ)らず、“移ろい”それ自体を慈(いつく)しもうという人生観が培(つちか)われてきたのです。
このような無常観は、現代の歌にも受け継がれています。
美空ひばりの「悲しい酒」(石本美由起作詞)では、
“ひとり酒場で”と、独白(どくはく)です。
ちあきなおみの「喝采」(吉田旺作詞)、
“汽車にひとり飛び乗った”と、これも独りの行動です。
都はるみの「北の宿から」(阿久悠作詞)、
“お酒ならべて、ただひとり”と、ここでも独りの所作(しょさ)です。
共通しているのは、日本人の悲哀を含んだ抒情感です。
方丈記や平家物語の冒頭の一節をここに入れても違和感がありません。
詩の背景に、通奏低音のように諦念(ていねん)が流れているのを見て取れます。
世の中に永遠なるものはない、形あるものはいつか変わる、生ある者は滅(めっ)す、という想いです。
古い寺社仏閣は創建時、極彩色豊かでした。“時の移ろい”で侘(わ)びしさの漂う佇(たたず)まいを身に纏(まと)って、今の形になりました。
その姿とその間の時、この二つが一体となって、日本人の心の琴線(きんせん)に触れるのです。
伝統的な無常観と昨今のそれには違いがあるそうです。(山折哲雄)
美空ひばりと尾崎豊の歌詞からその違いを説明しています。やるせ無さを己(おのれ)の胸の裡(うち)で浄化するか、周囲や他者に、怒り叫んでぶつけるかです。今の世情と符合しています。
己が若かった時、歌はラジオから流れていて、それを聴いていました。今は、電子媒体からイヤホンで聴いています。個人の音楽です。
日本人の無常観は、古今東西、民族や国を越えた感情です。
ひとのいのちはただ春の花
シェークスピア「お気に召すまま」
人間の生命(いのち)は[ひとつ]と数える暇もない
シェークスピア「ハムレット」
〔学長からの手紙〕
(No.211 http://www.fmu.ac.jp/univ/daigaku/letter/221.html)
〔理事長室からの花だより〕
(vol.42 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=67)
(vol.298 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=335)
・・・・
歓を得ては当に楽を作すべし (よろこびをえてはまさにたのしみをなすべし)
・・・・・
盛年重ねて来らず (せいねんかさねてきたらず)
一日再び晨なり難し (いちじつふたたびあしたなりがたし)
・・・・・
歳月は人を待たず (さいげつはひとをまたず)
陶潜
(vol.4 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=10)
(vol.344 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=384)
彼我(ひが)を比べてみると、違いは明らかです。我が国の無常観には、悲哀(ひあい)と表現される悲しさ、哀愁(あいしゅう)と言える寂(さび)しさを含んでいます。
一方、シェークスピアや陶潜(陶淵明)のそれは、乾いた、明るい無常観です。吹っ切れている感じがあります。“短い一生、だからこそ楽しもうじゃないか”、という気分です。
人間(ヒト)は、所詮、自分の人生しか生きられません。しかも、人間(ヒト)の一生というのは短く、限りがあります。人生は、側に居る人との関わりのなかで終わってしまうからです。
(vol.193 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=229)
(vol.276 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=313)
我々が、他人の経験や歴史を、耳で聴いたり本から学ぶ理由が、ここにあります。
今週の花材は、春そのものです。
(福島県立医科大学理事長 菊地臣一)
弥生(やよい)、切なさが込み上げてきます。
「別れは人間(ヒト)を成長させる」のですが、今という時代、時の移ろいに身を任(ゆだ)ねることが困難です。
それが世情を荒くしています。
月日は百代の過客にして (つきひははくたいのかかくにして)
行かふ年も又旅人也 (ゆきかうとしもまたたびびとなり)
芭蕉「奥の細道」
“すべては移ろい、過ぎ去っていく”、この無常観は、我が国の四季から育(はぐく)まれました。
我が国の古典文学や芸能にも、この無常観が貫かれています。
だからこそ、遙かな昔から、日本人の心に、目の前の出来事には拘(こだわ)らず、“移ろい”それ自体を慈(いつく)しもうという人生観が培(つちか)われてきたのです。
このような無常観は、現代の歌にも受け継がれています。
美空ひばりの「悲しい酒」(石本美由起作詞)では、
“ひとり酒場で”と、独白(どくはく)です。
ちあきなおみの「喝采」(吉田旺作詞)、
“汽車にひとり飛び乗った”と、これも独りの行動です。
都はるみの「北の宿から」(阿久悠作詞)、
“お酒ならべて、ただひとり”と、ここでも独りの所作(しょさ)です。
共通しているのは、日本人の悲哀を含んだ抒情感です。
方丈記や平家物語の冒頭の一節をここに入れても違和感がありません。
詩の背景に、通奏低音のように諦念(ていねん)が流れているのを見て取れます。
世の中に永遠なるものはない、形あるものはいつか変わる、生ある者は滅(めっ)す、という想いです。
古い寺社仏閣は創建時、極彩色豊かでした。“時の移ろい”で侘(わ)びしさの漂う佇(たたず)まいを身に纏(まと)って、今の形になりました。
その姿とその間の時、この二つが一体となって、日本人の心の琴線(きんせん)に触れるのです。
伝統的な無常観と昨今のそれには違いがあるそうです。(山折哲雄)
美空ひばりと尾崎豊の歌詞からその違いを説明しています。やるせ無さを己(おのれ)の胸の裡(うち)で浄化するか、周囲や他者に、怒り叫んでぶつけるかです。今の世情と符合しています。
己が若かった時、歌はラジオから流れていて、それを聴いていました。今は、電子媒体からイヤホンで聴いています。個人の音楽です。
日本人の無常観は、古今東西、民族や国を越えた感情です。
ひとのいのちはただ春の花
シェークスピア「お気に召すまま」
人間の生命(いのち)は[ひとつ]と数える暇もない
シェークスピア「ハムレット」
〔学長からの手紙〕
(No.211 http://www.fmu.ac.jp/univ/daigaku/letter/221.html)
〔理事長室からの花だより〕
(vol.42 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=67)
(vol.298 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=335)
・・・・
歓を得ては当に楽を作すべし (よろこびをえてはまさにたのしみをなすべし)
・・・・・
盛年重ねて来らず (せいねんかさねてきたらず)
一日再び晨なり難し (いちじつふたたびあしたなりがたし)
・・・・・
歳月は人を待たず (さいげつはひとをまたず)
陶潜
(vol.4 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=10)
(vol.344 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=384)
彼我(ひが)を比べてみると、違いは明らかです。我が国の無常観には、悲哀(ひあい)と表現される悲しさ、哀愁(あいしゅう)と言える寂(さび)しさを含んでいます。
一方、シェークスピアや陶潜(陶淵明)のそれは、乾いた、明るい無常観です。吹っ切れている感じがあります。“短い一生、だからこそ楽しもうじゃないか”、という気分です。
人間(ヒト)は、所詮、自分の人生しか生きられません。しかも、人間(ヒト)の一生というのは短く、限りがあります。人生は、側に居る人との関わりのなかで終わってしまうからです。
(vol.193 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=229)
(vol.276 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=313)
我々が、他人の経験や歴史を、耳で聴いたり本から学ぶ理由が、ここにあります。
今週の花材は、春そのものです。
(福島県立医科大学理事長 菊地臣一)
今週の花
【理事長室】
■桜〔啓翁桜〕(ケイオウザクラ) バラ科/冬に咲く桜
として人気の枝物用園芸品種。寒冷な気候を利用した促
成栽培によるもの。花付が良く、薄紅色の花を次々と咲か
せる。一般的な桜と異なり太い幹が無く、ディスプレイやア
レンジに使いやすい。
■エピデンドラム ラン科/《名前の由来》ギリシャ語の
“epi”(上に)と“dendron”(木)から。本属が一般的に着生
蘭であることから/細く伸びた花茎の先に小花が密集して
咲く。次々と開花し鑑賞期間が非常に長い。もともとの色彩
はオレンジ色だったが、現在は赤・ピンク・白・黄色等色とり
どりの花が楽しめる。
※拡大写真
http://www.fmu.ac.jp/univ/hana/3551.jpg
■桜〔啓翁桜〕(ケイオウザクラ) バラ科/冬に咲く桜
として人気の枝物用園芸品種。寒冷な気候を利用した促
成栽培によるもの。花付が良く、薄紅色の花を次々と咲か
せる。一般的な桜と異なり太い幹が無く、ディスプレイやア
レンジに使いやすい。
■エピデンドラム ラン科/《名前の由来》ギリシャ語の
“epi”(上に)と“dendron”(木)から。本属が一般的に着生
蘭であることから/細く伸びた花茎の先に小花が密集して
咲く。次々と開花し鑑賞期間が非常に長い。もともとの色彩
はオレンジ色だったが、現在は赤・ピンク・白・黄色等色とり
どりの花が楽しめる。
※拡大写真
http://www.fmu.ac.jp/univ/hana/3551.jpg
【秘書室】
■アネモネ〔デカンシリーズ〕 キンポウゲ科/球根
植物/一茎に一花、大輪の花を咲かせ、「牡丹一華」
(ボタンイチゲ)、「花一華」(ハナイチゲ)とも呼ばれる。
花弁に見える部分はガク片の集まり。チューリップと同
様に、明るいと開花し暗いと閉じる。「デカン」シリーズは
大輪の一重咲品種。他に八重咲の「セントブリジット」や
草丈の高い「モナリザ」などがある。
■カザリシダ ウラボシ科/常緑シダ植物/樹幹や
石の上などに着生し。深い切れ込みの入った葉を持つ。
葉は濃緑色で堅く革質で、日持ちが良い。日本では沖
縄に自生するが絶滅危惧IA類。
■レモンリーフ ツツジ科/常緑低木/《名前の由来》
葉形がレモンの形に似ることから/水揚げが良く、ブー
ケ等の添え葉として人気のグリーン。
※拡大写真
http://www.fmu.ac.jp/univ/hana/3552.jpg
■アネモネ〔デカンシリーズ〕 キンポウゲ科/球根
植物/一茎に一花、大輪の花を咲かせ、「牡丹一華」
(ボタンイチゲ)、「花一華」(ハナイチゲ)とも呼ばれる。
花弁に見える部分はガク片の集まり。チューリップと同
様に、明るいと開花し暗いと閉じる。「デカン」シリーズは
大輪の一重咲品種。他に八重咲の「セントブリジット」や
草丈の高い「モナリザ」などがある。
■カザリシダ ウラボシ科/常緑シダ植物/樹幹や
石の上などに着生し。深い切れ込みの入った葉を持つ。
葉は濃緑色で堅く革質で、日持ちが良い。日本では沖
縄に自生するが絶滅危惧IA類。
■レモンリーフ ツツジ科/常緑低木/《名前の由来》
葉形がレモンの形に似ることから/水揚げが良く、ブー
ケ等の添え葉として人気のグリーン。
※拡大写真
http://www.fmu.ac.jp/univ/hana/3552.jpg